今週のS先生

すごく為になり、いつもいつもたくさんの気付きをくれるS先生の講義。
今日も学生からのいろいろな質問に答える形で始まった『今週のS先生』。
この時間がすごく楽しみで、いつものように「なるほどなぁ…」「そうだよなぁ…」と感心しながら聞いていたのですが…。
『習熟度別クラス』の話。
先生の意見に対して、「まさにその通り!!」と思って大きくうなずく。
誰のための習熟度別なのか?
何のための習熟度別なのか?
その方向性があまりにもズレ過ぎっちゃってる気がする。
子供たちのためじゃなく、先生のため、学校のための習熟度別編成。
根本を穿き違えてしまうと、さらに格差を生み出してしまい、より大きな歪を作り出してしまう。
大切なのは相対評価を基準とした、他者との比較の中での指導ではなく、絶対評価を基準としたその子自身の中での成長を考えるための指導。
他者との競争がまったくもってナンセンスだとは言わない。だけど、あまりにもそのことにこだわり、固執しすぎている気がしてならない。そのことで、子供たちがどれだけ苦しんでいることか…。
もう一度、教育のあるべき姿をきちんと考え直したいものだ。
『神様』の話。
S先生はよく、『神様』って言葉を使い、そこに何らかの判断基準を置くような感じで物事を捉えられている。私自身が、どちらかというと‘無神論者’なので、そのこと自体に肯定も否定もないのだが、今日はそんな話を聞く中でフッと思ったことがあった。S先生の言うところの『神様』って、実は、自分自身の中にいるというか、自分自身の心の持ちようのことなんじゃないかな?って…。
「神様に認めてもらえるように…」「神様が納得してくれるような人生を送れるように…」っていうS先生の考え方。
それって、結局のところ、「自分自身で認められるような生き方」「自分自身で納得出来るような人生を送る」ってことじゃないのかな?って気がして…。
自分が自分を裏切ることなく、自分が自分を認められ、自分が納得して満足いくような人生。
そんな人生を生きることが出来ていれば、日々は充実し、いろんなことに満足でき、また前向きに生きていけるような気がするから…。
なぁ~んてことを考えながら話を聞いている中で、S先生の口から自分の耳を疑うような言葉を聞いてしまった。
「子供たちに“無限の可能性”はない!!」って言葉。
もしかして、自分が聞き違えたのかと思って、思わずあとから他の人に確認までしたけど、やっぱり聞き違いではなかった。
いろいろな話の流れの中で出てきた言葉。
もちろん、その言葉そのままの意味で発言したのではないこともなんとなくわかる。
S先生が言いたかったことは、子供たちには“無限の力”が備わっているわけではないから、決して無理をさせてはいけない。「その子のもっている力の分だけがんばらせればそれで十分なのだ」という意味、すなわち、「その子はその子のままでいいんだよ」という意味だと自分なりに解釈している。
それでも…。
それなら「子供たちには“無限の力”があるわけではない」という言葉で表現して欲しかった。“無限の可能性”という言葉を使って欲しくなかった…。
自分が願い、求めているものを根底から否定されたような気持ちだった……。
ちょっとした言葉の違い、ニュアンスの違いかもしれない。
こちらが勝手に勘違いしてるのかもしれないし、感じ方の違いだけなのかもしれない。
でも、自分が大切にしている言葉を否定されることは正直辛い。
だって、どの子もみんな“無限の可能性”をもっていると信じているし、その中からその子の“道”を見つけ出そうとがんばっているのだから…。
そこからあとの講義自体が半分‘上の空’だったことは言うまでもなく…。
う~ん…。なんかスッキリしないなぁ……。

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