適切な言葉

言葉の持つ力はとても大きく、人を喜ばせ、幸せな気持ちにすることもあれば、人を苦しめ、傷付けてしまうこともある。
まさに言葉は“諸刃の剣”。
だからこそ、慎重に言葉を選び、適切に使う必要性がある。
特に、なんらかのハンディを負った人たちに対する言葉については十分な配慮が必要である。
教育の世界でも、『特殊教育』という言葉が『特別支援教育』という言葉に変わったのがほんの数年前だが、すでにこの『特別支援教育』という言葉ですら、問題視されているのが現状だ。
また、『障害者』という言葉も“障害”という言葉(漢字)の持つイメージから、その使用について様々な議論がなされている。
このことについて、産経新聞に異例ともいえる大阪府吹田市の取り組みが波紋を呼んでいるという記事が掲載されていた。
記事の内容は以下の通り。
「障害者」という言葉にマイナスのイメージがあるとして、大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。内閣府によると、「害」の字を避けて「障がい者」と表記する自治体は5年ほど前から増えているが、表現そのものを見直す試みは異例。「障害者と呼ばれるのは嫌ではない」といった声もあり、専門家は「行政の押しつけにならないようにすべきだ」と指摘している。
 障害者の「害」はもとは「さまたげ」を意味する「礙・碍」だが、当用漢字でないため「障害者」が使われるようになった。平成16年ごろから「障がい者」と表記する動きが広がり、20年度で10都道府県・5政令市(内閣府調べ)。市町村を含めるとさらに増える。 吹田市も「障がい者」と表記してきたが、「『障害』は個人ではなく社会に存在する」として新しい表現を検討することに。10~11月に公募したところ、「愛」や「友」の字を用いるなどした45件の応募があった。一方で、「私は障害者だが気にしていない」「言葉狩りではないか」など市の方針に反対する意見も複数寄せられたという。
 吹田市身体障害者福祉会の小西清会長(87)は「言葉を替えても体は良くならないのに、意味があるのか」と市の方針に疑問を投げかける。障害者や家族からは「障害者問題を考えるきっかけになれば」と期待する声も上がるが、「言葉を替えても偏見はなくならない」「言葉よりも先に障害児教育の施策を充実させてほしい」など、抵抗や反発も根強い。
 吹田市は「難しい問題であることは承知しており、いろいろな意見を参考にしたい」としている。

 市民からの応募をもとに、学識者や公募委員による検討委員会を経て、来春までに新しい表現を決める方針。
 峰島厚・立命館大教授(障害者福祉論)は「『障害者』の表現は当事者の間でも賛否が分かれるが、行政の押しつけではなく、障害者たちが自由に選択できるようにすべきだ。単に言葉を替えるだけではなく、障害者の実態を市民に啓蒙(けいもう)することが重要だ」としている。
(12月2日付 産経新聞配信記事より抜粋)
賛否両論、いろいろな意見が取り上げられている。
この記事を読んだとき、先日行われた教育セミナーの講演の中で水野先生が、
「私は、『障害者』という言葉を『傷外(しょうがい)者』と書いて使っています。
 『傷外者』とは一般からへ押し出されて付いた人々のことなんだ。」
と話されていたのを思い出しました。
改めてその通りだと思いました。
また、この記事の最後の大学教授の言葉にもあるように、一番大切なことは使うべき言葉ではなく、対応すべき人の心を変えていくことで、言葉云々を議論する前に、みんなが正しい理解と対応ができるようにするためにどうしたらいいのか?という方法をしっかり考え、、それを伝え、実施する方法を議論するべきではないかと思う。
それでもやっぱり言葉は大切。
しっかり言葉を考えて選び、適切な言葉を使うことを心掛けたい。
みんなが喜び、幸せになるような言葉を…。

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