判断基準をどこにもっていくかで、そこに至るまでの過程と結果に関する考え方は大きく異なってくる。
“失敗した”か?“失敗しなかった”か?ということを判断基準とすると…。
この2つの結果に関しては、考え方によってその過程は大きく二分される。それは『挑戦した』という過程を経た場合とそうでない場合だ。
そもそも、挑戦しなければ失敗をすることもないので、その結果(結果と呼んでいいのかどうかも微妙だが…苦笑)を“失敗をしなかった”として良しとするのであれば、決して“失敗した”という悪い結果にはならない。
ただ、一つハッキリしていることは、そこにその人にとっての成長はないということだ。
もう一つ、よく考えばければいけないことは、仮に“失敗した”場合に、それが本当にすべてが悪い結果なのか?ということ。
人にとって、本当の意味で成長するチャンスは“失敗した”ことの反省から生まれることの方が多い。そう考えれば、“失敗した”という経験は、成長には必要不可欠なもの。
だから、何もしなければ失敗することはないというスタンスでいる人は、人生で大きな損をしている気がする。
そして、今の子どもたちに非常に多くて、本当に勿体無いというか、「悲しいな…」と感じることは、『やりたいことがないから何もしない』ということ。
やりたいことがない→何もしない→失敗しない
未来に向けて可能性の塊の子どもたちが、こんな図式で生きているのは大人として本当に悲しいこと。もちろん、子どもたちにやりたいことをみつける力や夢を見せてあげられていないことについて考えれば、それは我々大人の責任である。
だから、やりたいことがみつかるように、みつかったら挑戦できるように応援し、サポートしてあげれば、自然と何もしないということはなくなるはず。
そうやって挑戦すれば、必ず、“失敗をした”か“失敗をしなかった”かのいずれかの経験ができるし、そこから成長するチャンスやきっかけが生まれてくる。
子どもたちみんなに、やりたいことや夢を、是非見つけて欲しいものですね☆