先日、仕事の関係で大学時代の友人と会いました。メインの仕事の話はそこそこで、大学時代の笑い話で大盛り上がり。
そんな楽しい時間の中で、感じたことを少々…。
大学時代の笑い話の大半は、いわゆる“理不尽”とも言えるような様々な体験。そんな時代やそんな世界を知らない人が聞いたら「えっ……。」ってドン引きするようなエピソードの数々も、今だから笑い話として語れるけど、当時はマジで大変だった思いしか記憶にないことばかり。
その一つ一つのエピソードは、ここで文字に起こすのはあまりにも…なので、聞きたい方がいたら声掛けてもらったら、一緒に大笑いする時間作ります♪♪笑
それはさておき…。
“理不尽”なことのない世界
人生において“理不尽”な経験ってしないで済むならそれに越したことはない。でも、現実社会の中で生きていて、それがまったくない世界なんてあり得ないと思う。大人になって社会に出ればなおさらだ。
でも、今の世の中、ちょっとしたことですぐに問題視したり、騒ぎ立てる大人が多い。それはそれで権利を主張している正統なことなので別段否定するつもりはないが、その結果、昔に比べて子どもたちが“理不尽”な経験をする機会は圧倒的に少なくなってきていると感じる。
だからと言って、この先も世の中から“理不尽”なことがすべて無くなるわけではない社会の中で、“理不尽”な経験をしたことのない子たちが大人になって社会に出て、初めて“理不尽”だと感じることに遭遇したらどうなるか?その答えは容易に想像できてしまうし、まわりでたくさん見てきた。
これまでに、今、笑い話にできるぐらいたくさんの“理不尽”な経験をしてきた人間にとっては、社会で起こる“理不尽”な出来事も時として笑い飛ばすことができる。「あの経験に比べたらこれぐらいのことは…」って。笑
すべては経験だと思えたら…
いい経験も悪い経験も、そして“理不尽”な経験もすべては自分自身の経験であり、一つの財産。それがあれば、それを活かして予測を立てることもできれば、対応策を考えることもできる。そして、そこで立ち止まったり、しゃがみこんでしまったりすることなく、次の一歩を踏み出すこともできる。
改めて言っておくが、人生において“理不尽”な経験はない方がいい。
しかし、避けることができないなら、直面したときに対処できる力を養っておく必要があると思うので、そういった意味では、小さい頃や若いうちにそんな経験をするのもありだと思う。
「若い頃の苦労は買ってでもせよ。」
少しニュアンスは違うかもしれないが、昔のから言われるこのことわざのように、そんな経験もしておいて損はない。
同じ釜の飯を食い、同じ苦労や“理不尽”な経験をたくさんしてきた仲間と昔話をしながら盛り上がって感じたこと。そして、子どもたちの教育にいい意味で活かしたいと感じたことをつらつらと…。