教育とは現場の先生が処分覚悟でのぞむべきものなのか?

教育において、先生の立場としては責任をもって子どもたちと向き合う必要性があると思っている。責任をもつということは、もちろん、覚悟をもってのぞむということ。

でも、それと『処分覚悟』で職務にのぞむというのは全然意味が違う。現場の先生が『処分覚悟』で子どもたちの教育にのぞまなければいけないなんて現状が起こるのはなぜなんだろう?どうして、国や県、市町村などの行政レベルでそれが回避できないのだろう?

本日付けのYahoo!ニュースの記事で目に飛び込んできた『処分覚悟』の4文字。内容は以下のようなものだった。

毛細血管に血が通わなくなるように、過疎地では公共交通機関が減りつつある。ひときわ進んでいるのは津波被害を受けた宮城県の被災地だろう。県北部の海岸沿いでは鉄道が廃止となり、鉄路の上をバスが走るBRTが代わっている。浮上したのは高校の部活動をめぐる不条理だ。BRTはゆっくり走る。生徒が早朝に家を出ても、試合や大会に間に合わない。そんなとき、先生の自家用車が駆り出される――生徒を車に乗せ、運転ボランティアを務めるのだ。だが、県教委は「それはだめです」とぴしゃり。「事故をすると処分」とも明言する。なすすべがないからやっているのに、一つ間違うと処分とは……一体どうするべきか、先生の悩みは深い。

震災を受けた地域での現実。学校を生活を送るために家から比較的近いと思われる学校に通うだけでも大変な状況の中で、部活動の試合等による遠征ともなると、その大変さはさらに大きくなる。というより、移動そのものが不可能に近い状況になるらしい。記事はこう続いている。

津波で甚大な被害を受けた南三陸町にある志津川高校。教諭の一人が話す。
「震災以降、保護者による送迎や、バイクによる通学が増えました。町のカタチが変わってしまったのですから無理もないでしょう」
(中略)
部活動の際、生徒が遠方へバイクで行くことは認められていない。そのため仙台や石巻で大会がある時には保護者による送迎が頼りの綱となっている。南三陸町からBRTと鉄道を乗り継いで仙台駅に行くと、所要時間は約2時間半。仙台行きの高速バスは1日3本しかなく、始発に乗っても仙台駅に着くのは10時半過ぎになる。さらに仙台駅から会場までの移動時間もある。これに対し、車だと会場まで1時間半弱で着いてしまう。

だが、保護者の送迎にも限界はある。特に海岸部には震災によって経済状況が悪化し、共働きを強いられている家庭も多い。先の教諭はこう明かす。

「公共交通機関での移動が現実的ではないので、結局保護者の同意の上、ということで顧問の車によって送迎するしかないですね。親御さんの車によって送迎してもらうのが一番いいんでしょうけど、ご家庭にばかり負担を強いるわけにもいきません」

現場の先生の気持ちと教育委員会の対応

部活動も教育活動の一環。先生方も子どもたちの教育や成長の為に一生懸命取り組んでいる。だからこそ、直面した現実の中で、それがルールに反しているとわかっていても、踏み込んでしまっているという現実。“悪”という言葉に正しいものは無いのかもしれないが、それを決して“絶対悪”とは言い切れず、仕方のない“必要悪”だと感じてしまう。きれいごとだけでは済まされない現実がそこにあるのだ。

だが、その現実に対して、学校側が最大限の譲歩をする中で、県の教育委員会の認識はまったく違うものらしい。さらに記事はこう続く。

選択肢がないがために教員がボランティアで生徒を運んでいる実態。そのことを学校側も認識し、同意書まで取っている現実。ところが県教委はそもそもそういう実態があること自体を認めていない。

このような実態を把握しているか、問いに対する県教委の答えはこうだった。
「私達としてはあまり理解していないところです」

答えてくれたのは、宮城県教育庁スポーツ健康課。県教委の公式見解だろう、担当者は以下のように話した。
「部活の引率時に、教諭の車による生徒の送迎は原則禁止としています。大変ですが、約束としては公共交通機関もしくは保護者の送迎をお願いしております」

でもそれは建前論。現場ではそれは通用しない、と突っ込むと……。

「私達の立場としては、やはり決められた通りのやり方でやっていただくしかありません。もし生徒を乗せた教員の車で事故を起こしてしまった場合、責任を取りかねる部分がありますから」

もちろん、言っていることは正論だ。そうするのが一番いいということもわかる。でも、現実としてできないことをどういう風にしろというのだろう?

記事にもあるように、単一校で数名のためにバスの貸切なんて予算的にも不可能だし、非効率的だ。だったら、例えば、教育委員会が中心になって公共交通機関の代替として、複数校に声をかけて最寄りの駅から合同でのバスの貸切で移動の足を確保するとか、大会運営中は公共交通機関側に交渉して特別便を出してもらえるように手配するとかいった協力はできないのだろうか?

記事を読んでいて理不尽さしか感じない。こんな状態を知って、本気でその地域の子どもたちのために教育者になりたいと願う若者が減っていけば、教育そのものが成り立たなくなってしまうのではないか?こんなことをしているから、教育の地域格差が起こってしまうのではないか?

公共交通機関で移動できることがあたり前の地域で暮らしているため、知らなかった現実。そして、そんな地域でがんばっている先生方の苦悩。一都道府県の首長が1回の出張で数千万単位の支出をし、国民からも「おかしいのではないか?」と突っ込まれるようなお金があるのなら、本当に必要なところへお金を回し、子どもたちの教育や国民の生活がもっと良くなるような環境整備を行なって欲しい。

今の日本は、そんなことを願うこともできない、実現することもできないような国になってしまったのだろうか…。

20160526001

-代表者ブログ, 教育について, ひとり言

© 2024 NPO Selfish(セルフィッシュ)