「何にも縛られず判断しよう」
あるがままを認められるようになったら、好き嫌いなどなくなるという禅語です。
好き嫌いを決める基準とは、いったいなんでしょう。テレビで見る著名人を、好きとか嫌いとか振り分けていても、いざ嫌いだと思っていた本人に会ってみるとファンになる人がいます。好きだった人に幻滅する場合もある。だから最初に好き嫌いを決めつけてしまうのは、世界を狭くしてしまうことになりかねません。人だけではありません。食べず嫌いはその際たるもの。なぜ味わったこともないのに嫌いなどと言えるのですか。先入観で決めるのはもったいない。
へたな判断をするよりも、まずは会ってみたらいかがでしょう。
どんな人か、どんなものか、どんな味か。前評判に縛られずに、輪郭も中身も納得するまで観察すること。すると、その存在そのものを認めることが出来、好き嫌いなどなくなって世界がグンと広くなるというわけです。
『悟無好悪』=「さとればこうおなし」と読むのだそうです。
禅の世界の言葉ですから、“悟る”という高い境地の話が多いですが、自分のように人間ができていない者にとっては一生辿り着くことのできない世界だと思っています。
でも、そこまでの高みに登ることができなくても、自分があるがままを受け入れ、一歩進んでみようという気持ちになれば、世界は大きく変わる気がします。
それまでの自分があまり好きではないと感じていて、どちらかと言えば避けていた世界も、思い切ってその中に一歩足を踏み入れてみると自分の中の価値観が大きく変わり、自分にとってとても大切な世界になることもあります。
最初に自分が「……?」と感じた人やモノであっても、そこに自分自身の身を置き、ずっと見て、聞いて、感じることでその人やモノの持つ本質をきちんと感じることができ、とっても大事な存在になることもある。
加えて、自分自身が嫌いだとか苦手だと感じている人やモノの方が、自分にとって本当に大切なことをたくさん教えてくれる。
最近、いろいろな場面でそのことを痛感している。
それなりの時間生きてきて、やっとそんなことが少しずつわかりかけてきた気がする。
ほんと、お恥ずかしい話ですが…。(苦笑)
自分の身に回りにあり、関わりのあるすべての人やモノをありのままに受け入れようとする気持ちを持ち、日々を過ごすことで自分自身の世界は大きく変わる。
まだまだそこまではいけないが、そんな気持ちを持つことから始めたい。
すべて人やモノをありのまま受け入れられるような人間に、そして、ありのままの自分をみんなに受け入れてもらえるような人間になれるといいな♪♪