反比例ではなく比例で…

今日はちょっと憤りを感じたことを、単に愚痴っぽく吐かせてもらいます。
いろんなところでいろんな人と関わっていると、いろいろと思うところがあるもんで…。(苦笑)
子どもたちの支援をすべき場で、一人の子どもに対する対応に関して「少しでも労力を削って効率を考えてこういう風にしました。」ってある人が言ったのを聞いて、頭の中で「はぁ???」って思っちゃいました。
その子の様子を見ていると、明らかに困っているというか、本人がそれを感じてきちんと伝えられる子ではないので与えられたままの状態で過ごしていました。
その子が気持ちよく過ごせるようにするために使う労力なんてほんのちょっぴり。
そのちょっぴりの労力を惜しむことで、その子はずっと困り感を感じながら過ごさなければいけない。
今の時代、ほとんどのこと(モノ)は効率を追究し、極力労力を減らすことで生産性を上げたり、利益率を上げたりすることがあたり前。
科学や技術が進歩して、そうすることが人類としての進化の証であり、喜ばしいことである。
効率を追究し、労力を軽減すると求めているものの結果が上がる。
つまり反比例の関係が理想的な形。
でも、教育に関してはそうはいかない。
一人の子に力を注ぐということは、効率はどんどん悪くなり、労力は増える一方。
一般的に理想である反比例を求めるということは、何らかの答えを見つけたり、その子の応援をしたりすることからどんどん遠ざかっていくことになると思っている。
だから、教育では比例の関係がとっても大事なこと。
それを惜しんでいては、いい結果に辿り着けるわけがない。
教育の現場に一般的な理想の反比例を持ち込むことを考えるぐらいなら、子どもたちに関わる仕事なんかしなきゃいいのにって思ってしまう…。
いくら時代の流れに逆行するようなことであろうとも、それが必要な場ではそれをきちんと行なう。
それは極々あたり前のことではないのだろうか?
子どもたちに対する愛情も一緒。
どんなに大変でもその子のことを好きなり、一生懸命愛情を注いで接していると、それに比例して子どもたちはどんどん伸びてたくさんの喜びをこちらに与えてくれる。
最初から簡単にうまくいくことなんてないし、それを無理だって簡単に諦めて挑戦しようとしなければ絶対できるわけがない。
子どもたち自身の限界や子どもたちとの関わりの限界を勝手に決めてしまうような人は、子どもたちに関わる仕事なんか辞めちゃえばいいのにって思ってしまう…。
あ~あ、いっぱい愚痴っちゃったぁ…↓↓(苦笑)

-ひとり言

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