「大坂」→「大阪」

この間、家庭教師先で4年生の男の子と『おおさか』の地名の漢字について話をしました。
(先生)「『おおさか』って漢字で書ける?」
(Rくん)「もちろん!」
(先生)「書いてみて!」
(Rくん)「こうじゃろ!“大阪”」(と自信満々。)
(先生)「エ~ッ、こうじゃないの?“大坂”」(わざと意地悪に…)
(Rくん)「先生、間違えてる!!(大笑)」
(先生)「たしかに、今はRくんの書いた漢字が正しいけど、昔の『おおさか』は
     こう(大坂)書いてたんだよ♪」
(Rくん)「うそだぁ~~。(爆笑)」
もしかして、先生信用なし……???
そこで、辞書で調べて一緒に勉強することに…。
もちろん辞書にはきちんと両方が記載されていて、それを見てRくんは驚きつつもちょっと納得。
そのときは、両方正しいということで納得して、この話は終了したのですがいつ頃、どうしてこう変わったのか詳しく知りたくなってちょっと調べてみました。
~『大坂』が『大阪』になったワケ~
歴史上の書物に『大坂』という地名が初めて登場したのは明応五年(1496年)のこと。
蓮如上人が書いた「御文章」の第四帖に、そもそも当国(摂津国)東成郡生玉庄の内大坂という在所」とあるのが最初といわれています。
この後、蓮如上人は石山御坊と呼ばれる大坂本願寺をこの地に建立しました。
石山御坊が建立された付近は、もともと「小坂(おざか)」と呼ばれていました。
しかし、蓮如上人が石山御坊を建立したときに、縁起をかついで「小坂」を『大坂』に変えたと言われています。
ちなみに、この時点ではまだ『大坂』は「おざか」と呼ばれていたそうです。
その『大坂』が現在のように『大阪』と書かれるようになったのは、明治三年(1870年)のこと。
東京が首府と決められた明治維新後、『大坂』は衰退の一途をたどっていました。これは『大坂』の「坂」が「土に返る」からだと人々が口にしはじめ、そのため、「盛ん」や「多い」という意味を持つ「阪」が使われるようになったそうです。
当時は、公文書にも『大阪』と『大坂』が混在し、かなり混乱していたようです。
明治十年(1877年)になると、ようやくその混乱も収束し、公文書の印鑑なども『大阪』に統一されました。
ちなみに、この『大阪』の例を模倣して、牛肉で有名な『松坂』も『松阪』と書かれるようになったそうです。
調べてみて、思わず「なるほど」と感心。いろんな理由があるもんだ。
昔は、今以上に縁起を担ぐことが多かったから、漢字一つをとってもここまで考えて使用していたんですね。
どうです?勉強になりましたか?

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