夢をもち、その夢に向かって進む。
その中で一番大切なことは、その夢が叶うという最高の結果を望みつつも、結果以上にその過程であり、それが本人の成長につながる。
そのために、時として、我慢や苦労を強いられることもあるし、がんばることを求められることは、ある種、あたり前。それが最終的に成長とともに喜びにもつながることだと思っている。
『思っている』と書いてはみたが、実際に、これまでの自分の中での経験や思いと照らし合わせて考えてみると、間違いなく、成長と喜びにつながっていると言えるのだが、やはり、そこには個人差があるし、なによりすべての人がそうであると言い切れない部分があることもわかっているので、そういった表現に留めている。
もしかしたら、こんな感覚って自分ではあたり前だと思っているけど、ある種、体育会的な気質であったり、それを良しとする時代の風潮とも相まって、その時代を生きてきた人間がそう感じてしまっているだけで、実は、多くの人にとってそうではなかったり、今の時代には合わなかったりするものなのかもしれない。
それは、今、目の前の楽しさや喜びを感じながら、日々を生きていくこともまた人として幸せなことであり、何かに縛られたり、何かに制約を受けたりする生き方より、もしかしたら、今を大切に生きることの方がいいことなのではないかとも感じるようになってきたからだ。今の若い世代の人たちの生き方や物の選択の仕方、普段関わっている今の時代を生きる子どもたちの求めるものや価値観、大人との関係性などを見ていると、そんなことを強く感じる。
もちろん、今を大切に生きられない人が、未来だけ大切に生きていくことなんて無理な話。今と未来は間違いなく1つの時間軸の上に存在し、未来は今の積み重ねによって出来上がる時間だから…。
ここで一つ考えないといけないのは『今=現在(いま)』であるということ。これもあたり前の話だけど、どうしても自分が生きてきたこれまでの時間の中で必要とされてきた感覚と、今の時間の中で必要とされている感覚が違うことを頭ではわかっているけど、そこがうまく融合できていないからだと思う。「昔は…」なんて言葉が出てくるあたり、自分も年を取ったってことだよなぁ~って感じる場面も多くなってきてるので。笑
そう考えると、率直に「どっちの生き方がいいんだろう?」って疑問が頭の中をグルグル回る。。。