責任と思いやり

“責任を持つ”ってことは大切なこと。そしてすごく当たり前のこと。
あまり偉そうなことを言える人間ではないが、自分は出来る限り何事においてもきちんと責任を果たすように心掛けている。
実際にきちんと責任のある言動が出来ているかというと、自分ではそうしているつもりでも他人から見れば出来ていないことが多いかもしれないが…。
ちょっとしたことがあって“責任を持つ”ってことについて考えちゃいました。
自分が相手に対して「無責任だなぁ…」と思うとき、その考え方の主体はあくまで自分。それが当たり前だし、今までの自分はいつもそうでした。
自分が責任を果たそうとする原動力は何なのか?と考えてみると、自分の場合は、「プライド」が一番大きい気がする。相手から‘いい加減な人間だ’とか、‘出来ない人間だ’と思われたくないという気持ち。
でもそこからもう一歩おし進めて考えてみたら、それ以上にその相手に対する「思いやり」がそこにあるんじゃないかと思って…。
思いやりを持って相手に接するということは相手を大切に思うということ。大切に思っていれば、絶対いい加減(=無責任)なことは出来ない。
いくら「プライド」が大切でも、どうでもいい相手ならどう思われても構わないので簡単に責任を放棄できる気がする。っていうか、放棄してきた。
でもそうじゃない人に対しては、きちんと責任を果たそうとする。
ということは、相手の立場に置き換えてみたら、自分がいい加減だと思う言動をされたのは、相手にとって自分がどうでもいい存在であり、思いやりを感じる必要のない人間だということになる。
結局、自分が相手にそう思ってもらえるだけの人間になれなかったことが原因。だとすれば、相手を責める気持ちを持つ前に自分が変わらなければいけない。
う~ん、なんかだんだん禅問答のようになってきて、頭の中がグチャグチャになっちゃった…
簡単そうで難しいなぁ……
考えるのやめて、もう寝ようっ~と

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