『無駄』を省くには、まず、それが『無駄』であることを自分なりに知ることが必要なのです。

厳密に『無駄』という表現が的確ではないかもしれませんが、より分かりやすく伝えるために、あえて『無駄』という表現を使わせていただきますことを、まずご理解いただければと思います。

今日の話は、学習場面において、特に親子関係などで認識の違いから、時折起こる問題。子どもたちの学習内容の修得にあたり、これからいろんなことを学んでいく子どもたちに対して、すでにその内容を知っている大人たちの間では、同じ問題に対峙した場合でも、自ずと違いがあってあたり前。

例えば、算数や数学の計算問題の中で必要以上に計算の途中過程を書く。それは大人の感覚では『無駄』なことであり、最終的に『無駄』になる内容は最初から覚えずに省いて勉強すればいいと説明しようとする。その結果、子どもはその部分を省くことで内容理解が薄くなり、結果的に間違ってしまいやすくなる。おまけに、間違えてしまうことで怒られてしまうことも…。

ここで冷静に考えてもらいたい。大人も最初から、その部分が『無駄』だと知っており、学びの段階から省いて勉強していたり、自分たちも省いた形で教えられていたりしたのだろうか?

答えはきっと“No”で、学んだ段階から学びを深め、効率よく行えるようになった結果として『無駄』だとわかり、省けるようになっただけで、最初からそうだったわけではないはずだ。

「『無駄』を省く」と言うより「『無駄』を削ぎ落す」と言った方がイメージしやすいと思いますが、最初は骨格からしっかり肉付けをして一つの形を作りだし、その上で、そこから『無駄』な部分を削ぎ落すことで、スッキリした一つの形が出来上がるのだ。そして、その形は人それぞれ違い、すべての人が同じ形に辿り着くとは限らない。

先の例えで書いた計算の途中過程を書くことに話を戻すと、まずは、書き過ぎぐらいしっかりと途中過程を書いてでも、計算のルールや仕組みを理解すること、そしてミスなくできるようになることを目的に学び、そこから本人の理解に基づいて徐々に省ける部分を省きながら解けるようにしていく。もちろん、そこで正確さが欠如してしまうような省略は問題外の話であることは言うまでもないし、省ける部分は人によって違います。

そうやって学習の過程において自分なりの形を成す過程の中で『無駄』であること自分なりに知ることが始まりであり、そこから自分なりの方法でそれを省く。その結果、効率がよくなり、解くスピードが上がることにつながるのだから、最初からそこを目指して学びを進めることは、結果的に「効率がよい」とは言い難い勉強の進め方であり、学びの本質からはズレていると考えます。

子どもには子ども一人ひとり違う理解の深め方、学びのスピードがあり、“今”学びを進めているところです。そして、大人はみんな、その過程を経て“今”に至り、“今”がんばっている子どもたちと向き合っています。

その違いも理解し、子どもなりの学びをゆとりをもって見守ってあげられたら、きっと子どもも伸び伸びと学んでくれると思いますよ。

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