PCやIT関連の革新的な進化に伴い、ここ最近は、教育の世界にもその大きな波が押し寄せている。
自宅に居ながらにして、PCやタブレットなどを利用して授業を受けたり、学習内容の正誤の確認や採点、成績管理に至るまでをすべて便利な道具が行なってくれます。塾などでも、教室には行っているものの、子どもたちの前には先生がいなくて、モニターやタブレットがあり、それをみながら進む授業。すなわち、授業そのものを道具が行なってくれます。
あえて、『行なってくれます。』という言葉を遣いましたが、そういった便利な道具がすべてを人間の代わりを『担ってくれる』のか、それとも人間の行なう内容の『補助的な役割を担ってくれる』のかでは、同じ『担う』でも全然意味が異なります。
便利な道具は、膨大なデータをベースに、それも短時間で処理してくれます。個人個人の情報を分析もしてくれるし、それに見合った必要なデータを導き出してくれるため、時間短縮のためには非常に役立つツールです。
メリットがたくさんあるので、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、教育において、最後に必要なのは先生であり、人対人の関係性によってそこに生まれる力から伝えられるものであると考えています。
「その教科を好きになりたかったら、まず、その教科の先生をすきになればいい。」
昔からよく言われたり、耳にしたことのある人も多いのではないでしょうか?こう言われている意味こそ、教育の根底を成すものは、まさに“人”であるということを意味しているのだと考えていいと思います。
言い換えれば、仮に同じことを学んだとしても、そこにもう一つの大切な要素である“誰から学んだか?”というエッセンスが加わることで、その学びの度合いや定着、そして影響力は大きく異なります。子どもたちの方を向いて、真剣に教え、伝えてくれる先生もいい先生には違いないですが、子どもたちに背中を見せて大切なことを伝えてくれる先生は本当にいい先生だと思っています。自分自身に中でも印象に残っている先生や目標としている先生はそういう先生です。
そう考えると、PCやタブレットといった便利な道具は、子どもたちの方を向いてたくさんの情報をくれることは可能ですが、背中を見せて教えてくれることは絶対にあり得ません。
子どもたちに教えるにあたって本当に大切なことは、学んだことによる結果ではなく、その学んだ過程であり、それは人でなければできないこと。この先、もっともっと技術革新が進めば、もしかしたらそんな道具やロボットのような物が生み出されるのかもしれないけど、少なくとも、今現在と、創造し得る限りの近未来では、そこに関しては人間が道具に取って代わられることはないと信じています。
先生が子どもたちに教えたいのは、学習内容だけでなく、学ぶことの楽しさや喜びであり、そこから繋がる未来への道。
そして、それができるのが先生という仕事の一番の楽しさです☆