今日からはまた現実モードに切り替えようと思っていたんだけど、荷物の片付けをしていたり、少し写真の整理などをしたりする中で、思ったことを少しだけ書かせてもらおうと思う。昨日までの流れで、もう一日“SAWAN”モードにお付き合いください。
“SAWAN”に直接触れたことのない人たちにとって、参加している子どもたちやそのご家族、そしてそのまわりの人たちなどたくさんの人たちをこんなにも魅了する“SAWAN”ってなんなんだろう?っていうのが一番素朴な疑問だろう。
今回、初めて参加した朋香や参加していた現地の子たちがLINEやFacebookでたくさんの思い出の写真とともにいろんな思いを書いているもの、そしてそれに対して参加していなかった子たちが書き込んでいるコメントを読んで、改めて強く感じた。すっごく陳腐な言葉でしか表現できないけど、メンバーにとっての“SAWAN”に集う人たちは『仲間』ではなく『もう一つの家族』なんだろうなって…。
(※朋香の誕生日を『もう一つの家族』がお祝いしてくれました♡)
大自然の中で普段できないような経験をしたり、自分の夢や地球環境について考えたりといった活動が経験できること自体大きなことなのだが、経験ができるかできないかということと同じぐらい大事なことはその経験を誰と一緒にするかということだろう。
そこに集いし人たちがどういった集合体なのかということで、同じ経験であっても、伝わってくるもの、感じるもの、自分自身の中に残るものが大きく異なるだろう。
そういう意味で、“SAWAN”のそれは、もはや『仲間』のレベルではなく、一人ひとりにとって『もう一つの家族』というレベルの集合体として集い、ともに過ごす時間だからこそ、とても大きな意味を持つ場になっているのだろ思う。
それはまた、そこが一人ひとりにとっての『居場所』ではないことを意味している。
『居場所』はすごく居心地のいいところ。だから、安心してそこに居られたり、好きになるとずっとそこに居たいと思うだろう。でも、それが子どもたちの成長のために良いことか?と聞かれたら答えはもちろん「No!!」だ。
子どもたちが大きく成長し、未来へ羽ばたいていくためには、社会という荒波の中でもまれながら生きていかなければならない。でも、それは本当に大変なことであり、くじけそうになることも多々あるだろう。
だからこそ、『居場所』ではなく『戻る場所』が必要なのだ。それが子どもたちにとっての“SAWAN”なのだと思う。
苦しい時、疲れた時、辛い時、自分を見失いかけた時、大切な『もう一つの家族』に会いたくなった時に、自分の立ち位置を確認しに『戻る場所』であり、確認し、安心でき、そして時にはみんなにしっかり背中を押してもらったら、また、今、本来自分がいるべき大きな世界へと帰っていく。羽を休めに木々に降りてきた鳥たちが、また再び大きな空へ舞い上がるかのように…。
だから、みんなまたそこへ戻ってくる。
『もう一つの家族』に会うために…。
そして、そこが『戻る場所』だから…。