教科を問わず、文章題を難しく感じ、苦手にしている子は多い。国語の長文読解は、その中でも最たるもの。特に発達障がいでAD/HDやLDなどの子たちは、こういった類の問題は非常に苦手なケースが多い。
そんな苦手としている子たちに国語の長文読解を長年教えていて、最近になって感じたことがある。
それは、難しく感じる長文読解の中で、一般的に考えやすく、点数に結びつきやすいと感じている問題を非常に苦手にしている子がいて「なんでかなぁ…?」といろいろ考えていて一つの仮説が成り立った。
どんな問題か?
文章中から、問いに対する答えを選ぶ条件。
①文字数限定
②抜き出す
③前後に文(説明)があり、途中を埋める
④句読点も文字数に含める
などなど…。
ここまで条件が限定されると、一般的には長文の中から回答を探す段階で条件がかなり絞り込まれるので比較的見つけやすい。したがって、正答が導き出しやすく、長文読解の中では優先的にチョイスして点数を稼ぐ問題として解くように指導してきた。
しかし、どちらかと言えば、そういった問題の方の正解率が非常に低く、ちょっと長めの解答を求められる問題や登場人物の心情を想像して書くことを求められる問題など、こちらとしては難易度が少し高いと思う問題の方が比較的正解率が高かったり、正答に近い解答を書いていたりしているにもかかわらず、上記のような問題をすごく苦手としているのだ。
一つの仮説
いろいろ考えて行き着いた一つの答えが、『問題の条件が多いということは答えが限定しやすいということ以上に、気を付けるポイントが多過ぎてすべての条件を網羅することの方が難しい』のではないかということ。
実際、同じ問題で何度か間違える解答の段階を見ていると、
①文字数は選べているが抜き出しではなく、言葉を変えている。
②句読点が含まれていない。
③前後のヒントとの文脈がない。
など、こういったことが順に起こるような誤答を出す。場合によっては、それがスパイラルで何度か起こるのだ。
ということは、気を付けるべき条件が複数ある場合、その問いの中での情報量が多過ぎて覚えきれない(理解しきれない)ので、自分がその瞬間に注視している条件だけで解答を考えてしまい、その他の条件にまで注意を払うことができていないと考えれば、そういった誤答が連続で起きることにも納得がいく。
実際、長文読解で全然文章が読み込めずに、ほとんどの問題ができないわけではなく、先にも述べたようにこちらとしては比較的難しいだろうと思っている問題も含め、全般的に答えとして書いているものは決して的外れな解答ではなく、ほぼ正解に近いところまでは読み込めていて解答を導き出しているのだが、結果的に問題の条件に合っていない解答になってしまっていて減点もしくは誤答になってしまっているのだ。
条件の多さはハードルの多さ
結局、考える上での条件や解答を導き出す上での条件の多さはヒントの多さではなく、正答へ辿り着く上でのハードルの多さとなっているということだと考えられる。ならば、その複数の条件を設問の中からきちんと気付き、解答へと反映させるその子に合った手立てを見つけ、落とし込んでいかないといけないということだ。
それは、指導する側にとっても大きなハードルがいくつもあるのだが、こちらががんばってそのハードルを乗り越えなければ、それを苦手としている子の点数には結びつかない。
こちらが簡単だと感じるものが、すべての子にとって簡単なものであるわけではない。やはり、感じ方や困難さは一人ひとりみんな違い、そこのハードルを一つひとつきちんと越えられるようにしてあげないといけないのだ。