応に住する所無くして而も其の心を生ずべし

「何ごとにも捕われない清浄な心をもって」

何ごとにも捕われない心を清浄心といいます。この心をもって、あるがままに自由にモノを見て、開いて、味わい、触って全ての経験をしておいで。だけど、心を奪われたりしちゃあいけないよ。心を一ヶ所に停めてはだめですよ、という意味の禅語です。
「住」というのは執着することで、これがあらゆる迷いの原因です。何ごとにも捕われない心というのはスッキリ気持ちよく生きていくのにとても大切なことなのです。大切なものに執着したとたんにあなたに悩みが生じます。しかし、だからといって心を閉ざして部屋から出ていかなければ、あなたの命を輝かせるような出逢いを逃します。道元禅師はこんな風に詠みました。
水鳥の行くも帰るも跡絶えて されども道は忘れざりけり

『応に住する所無くして而も其の心を生ずべし』=「まさにじゅうするところなくしてしかもそのこころをしょうずべし」と読むのだそうです。

いろんなことに捕われてばかりの私は、“清浄心(しょうじょうしん)”なんてものは持ち合わせておりません。というか、そんな言葉も知りませんでした。苦笑

何か気になるものができると、すぐにそこに心を奪われてしまう。それは、そこに心を停めてしまっているということなんですね。言われてみると、たしかにその通りだと思います。

執着するから迷う、迷うから悩む、そして悩むと身動きが取れなくなる、動けなくなった原因が、そもそも心をそこに停めたことから始まっているのなら、自分自身が動いているように感じているだけで、結局、ずっとそこに身動きせずに居座り続けているだけってこと。だとしたら、最初から心を一ヶ所に停めておかず、前を向いて動き続けていれば、迷い、悩み、身動きがとれなくなることはない。

って、言われることはわかるけど、実際にできるかと問われれば自信をもって「できません!!」と答えられる私。笑

それができるようなら、すでに悟りの境地に達していて、たくさんのものに執着してないはずなので…。

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