“あたり前”に感謝

日々の生活の中で、自分の身の回りで起こっていることはたくさんあって…。

そんな中で、特別大きな問題を抱えることなく日々の生活を送れているならば、それは日常にあるたくさんの“あたり前”に支えられているということ。

それは言葉の通り“あたり前”であって、決して特別なことではないため、日常の生活の中ではその存在を意識することはなかなかない。
だからもちろん、その存在にありがたさを感じ、感謝することなどほとんどないような気がする。

人間誰しも、特別なことにはちゃんと気付けるし、そのことに感謝もする。

その特別なことは、何の変哲もない日々の“あたり前”の生活の上に存在する。
すなわち、“あたり前”無くして、特別は存在しないということ。

たまにしか会えないおじいちゃんやおばあちゃんに、お小遣いをもらったり、ゲームを買ってもらったら感謝の気持ちを持てる。
でも、毎日ご飯を作ってくれているお母さんには感謝の気持ちをちゃんと持てているかな?

困っているときに優しい言葉をかけてもらったり、そばにいてもらったら、感謝の気持ちを持てる。
でも、朝起きたとき、そこに家族がいて「おはよう。」と言ってくれるその言葉と存在に感謝の気持ちをちゃんと持てているかな?

日常にありふれている“あたり前”は“あたり前”なんだけど、本当は決して“あたり前”なんかじゃなかくてすごく大切でありがたい存在。

だから、きちんとその“あたり前”を感じ、感謝することを日々忘れてはいけない。
それは、人が成長する上で欠かすことのできない、とっても大切なことだと思うから…。

-ひとり言

© 2024 NPO Selfish(セルフィッシュ)