オリンピック日本代表選手のそれぞれにとってのオリンピックと“意義”

連日、テレビやニュースで伝えられるオリンピックの様子。陸上競技では、残すところ、明日の男子マラソンだけになる中で、昨日の男子4×100mRではアジア新記録による銀メダル獲得は個人的にも一番大好きな競技・種目だけに日本チームの活躍はとてもうれしかった☆

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そんな日本選手の活躍によるメダル獲得のうれしい報道と同時に、残念な結果も届く。ただ、結果はあくまで結果であり、そこに至るには全選手にそれぞれの想いや過程がある。

だからこそ、試合を終えた選手の涙、言葉、表情…それらすべては他の誰のものでもなく、その選手自身の、今回のオリンピックそのものなのだと思う。そして、それらすべてがそれぞれの選手の自分自身の存在も含めた“意義”であろう。

その結果や選手の言動に対して、マスコミや一般の人がニュースやネットでいろいろ言っているのもまた自由だ。そこにもそれぞれの立場でのその人の“意義”があることもわかる。でも、だからと言って、選手の一挙手一投足を否定するような発言をしていいことにはならないと思う。

どんな結果、どんな言動であれ、それも含めてすべてがその選手のオリンピックであり、“意義”であることをきちんと尊重すべきだ。それが日本代表として戦っている選手に対する最大限の敬意というものではないだろうか?

一部の報道やネットの書き込みを見ていて、そんなことを感じた。

まぁ、それはおいといて、過去最高のメダル獲得といううれしい結果を残している日本代表選手たちには本当に「感動をありがとう!!」という気持ちでいっぱいだ。

オリンピック閉会式まであと少し。そして引き続き開催されるパラリンピック。

日本代表選手にはそれぞれの“意義”を大切にして思いっきり戦い、そして楽しんで欲しい。それがスポーツの祭典、オリンピック・パラリンピックの“意義”であり、そんな選手を全力で応援したい☆

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