行雲流水

「自由に生きていこう」

大空に浮かぶ雲。留まることなく流れていく水。どこまでも自由で束縛されていない様子が絵に描いたようにわかる言葉です。
行く手を阻む大きな岩が出てきたって、なんとなく流れていく水は、こだわりなく執着なく海に向かってぐんぐん進む。丸いものに入れられれば丸くおさまり、四角いものに入れられれば四角におさまっていますが、固まったわけじゃない。だれも水に形を強制することはできません。山頂では雲はすぐそこにあるように見えますが、誰にも掴めない。そんな風に自由に生きましょうよ、と禅語は言っています。
修行僧のことを「雲水(うんすい)」と呼びますが、これは「行雲流水」の雲と水からできた呼び名です。居場所を決めずに、一ヶ所に留まることなく、いろんな師をたずねて修行を重ねていくからです。

『行雲流水』=「こううんりゅうすい」と読むのだそうです。
空に浮かぶ雲のように、流れる水のように、なにものにも妨げられることなく、あるがままの姿で自然に生きられたらどんなに楽なんだろう?なんでそんな風に生きられないんだろう?
人から見た“自由”と“束縛”。
自分で感じる“自由”と“束縛”。
自由気ままに生きています。
自分のやりたいように生きています。
人から強制されることが嫌いです。
ワガママで自分勝手で…。
人から見たら完璧なる“自由人”。自分でも「そうだよなぁ…」と思います。
でも、本来の自分は、小さなことに一喜一憂し、一緒にいられることに幸せを感じ、離れていることに不安を感じ、夢を見ながら現実に不安を覚え…。
“自由”に生きているようで、小さくて弱い自分に“束縛”されながら生きてるような気がします。
もっともっと自分の素直な気持ちに正直に強く生きられたら…。
「エッ!?それ以上、ワガママに生きるつもり???」
そこのあなた!!そんなこと言わないように♪♪(笑)
今日の“空”。
山の上にかかる雲の塊。高い空に広がる薄い雲。そして右上の方には小さくキレイなお月様。
みんな、あるべき場所に自然とあるがままの姿で存在してる。誰からも、自らも束縛されることのないあるがままの姿。

-代表者ブログ, 禅の教え

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