人と人が関わり、支えあって生きている中で、相手に対する思いやりややさしさは必要なものであることは間違いない。
でも、思いやりややさしさという言葉で一括りにしてしまいがちだが、その基準や価値観もまた、人それぞれ違う。ましてや、それを送る側と受け取る側でも全然違うだろう。自分の思う思いやりややさしさが、相手にとっては全然そうではないこともあるだろう。
例えば、子どもたちのサポートをしていてもそうだ。
怒らないという接し方
褒めるという接し方
いつも寄り添うという接し方…などなど
言葉を聞いていると思いやりややさしさを形にした関わり方に違いない。でも、それがすべての子どもにとって、本当の意味での思いやりややさしさになるのだろうか?
大人同士の関わりでもそうだ。
お互いが相手のことを理解しようとすること中には、思いやりややさしさが根底にあり、その上に自己犠牲だとか忍耐だとか、相手を上げ、自分を下げるといった関係性が多く見られる。それが決して悪いことだというつもりもないし、どちらかと言えば、それによって人間関係がうまくいっている場合の方が多いだろう。
でも…。
そのことで、相手の成長の芽を摘んでいたり、相手の未来を大きく左右することになってしまったりすることがあることも知っておかなければいけないし、そうならないようにするための最大限の努力もしなければならないだろう。
相手はもちろん、自分もちゃんと幸せを感じられる答えがあるなら、そのために言うべきこと、やるべきことの根底にあるものこそが本当の思いやりややさしさなんじゃないかな?
なんて言ってみながら、言っていることに自信なんてないし、結局のところ、よくわかってない。
みんなが幸せになれる答え。
何が本当の思いやりややさしさなんだろう…