「斜めに斜めに、とらえていませんか」
当たり前ということです。柳は緑色、花は紅色。ただそれだけのありのままの自然の姿こそが真実だという意味です。
柳を描く時に、手にたくさんの色鉛筆を持ち、花を塗るにもたくさんの絵の具を用意した。この緑は見えている緑ではないはずだ、あの人の意言葉は文字通りではないはずだ、もっと違う意味が込められているに違いない。上から下から斜めから、疑って疑って検証して、信じることを忘れた日々。自分が頭をひねった分だけ、何をやっても少しはずれてしまっているのに気づいたことはありませんか。
ある日あなたにも、柳があるがままの緑色に、花はそのままの紅色に見える日がくる。真実をそのまま見るには少しの勇気も必要です。柳は緑でよし、花は紅でよし、それぞれが自分の色を持っていてよし、ということです。
『柳緑花紅』=「やなぎはみどりはなはくれない」と読むのだそうです。
わかる気がします。
というか、わかろうとは思います。
人はそれぞれに違い、いろんな考え方もあって、それらをきちんと理解して受け止めることも必要だということも…。
それでもやっぱり、すべてをあるがままに受け入れられるだけの器というか心の広さは持ち合わせていない小さい人間です。
自分の信じる道を真っ直ぐ生きるしかできない小さい人間です。
だから、自分が認められないものには反骨心をもち、必要以上に意地を張るのです。
いろんな立場を理解し、受け入れられるようになったら、もう少し楽な生き方ができそうな気もしますが…。
でも、それが自分自身のあるがままなので、仕方のないものだと思ってそれは受け入れるようにしないと自分自身を否定してしまうことになるのでもっと生きにくくなっちゃいますよね?
本来のあるべき姿であってくれれば、ここまでいろいろ悩む必要性はないんだけどなぁ…。
そんなことを考えながら、久々に読んだ禅の教えでした。