「よく見れば見れます、真実」
世の中は何かを隠したりしていない。真実は隠されているのではなく、全てあなたのまわりに現れている、という意味です。
だから、真実を知りたかったら、よく見る、よく感じることです。
それにはよく見える目を養うこと。よく感じる心を養うことです。
目が曇っていたり、心が閉ざされているから、真実が見えないだけなのです。真実は何も隠すことなくあけっぴろげにそこにある。
「顔に書いてる」、「おどおどしている」、「目の奥が笑っている」なんていうあまり科学的でない表現も、実は隠すことのできない真実を表わしているのかもしれません。
「地球が悲鳴をあげている」、「海が泣いている」。自然こそ何も隠さず全てを見せてるのでしょう、見えるか見えないかは人間次第。
『遍界不曾蔵』=「へんかいかつてかくさず」と読むのだそうです。
最後の一言。
“見えるか見えないかは人間次第。”
結局、すべては自分次第ってことなんですよね…。
真実はいつも自分自身の目の前にあり、決して隠されているものではないということ。
それをきちんと見えるだけの目と心を持てる自分であるかどうかということ。
自分自身の心の中も同じなのかもしれない。
自分の本当の心は、自分自身が見ようとしないから見えない。
もし、見ようとしても、曇った目や閉ざされた心では見えない。
自分自身が必要としているものは、いつも自分自身の中にあるのだから…。
他の誰の心の中でもなく、自分自身の心の中にあるのだから……。
曇らない目できちんと物事を見よう。
閉ざさない心できちんと物事を感じよう。
そうすればきっと、真実を知ることが出来るってことですよね?