授業中、かなりのウェイトを占める行動の一つが黒板の先生の板書を自分のノートに写す時間。それがしっかりできているといろんな意味でプラスになったり、そもそもちゃんと授業を受けているといった見られ方をしたりと、一見メリットのように感じるが、これを間違えてしまうと学びという点においては大きなマイナスに成り兼ねない。そのマイナス点は大きく2つ。
まず1つは、黒板に書いてあることをノートに書き写すことが作業や義務になってしまうということ。
とにかく、黒板に書かれいていることをひたすらノートに書き写す。
内容云々は関係なし。
自分が分かるようにまとめようとする気はなし。
そもそも、その板書の中身をしっかり理解しようとする意識すらなし。
完全に黒板に書かれていることをそのままノートに書き写すだけの作業であり、授業においては、それをすることが義務であると言わんばかりの状態。ここまで来たら「やらないよりはやった方がいい。」程度であり、とうてい、それをもって「勉強している」とは言い難い。
もう1つは、その作業に没頭するあまり、その間の先生の説明や解説を聞いていない。一番の問題はここにある。
そのあたりの問題がきちんとわかっている先生の授業では、自分が説明や解説している間に子どもたちがノートを書くことはさせず、話を聞くことに集中させ、その代わりにノートを書き写す時間を別に設けて、そこは書き写すことだけに集中させる。この形態であれば、少なからず作業に夢中になるあまり授業を聞けていないといった問題は軽減できるが、考えようによっては、先生からの説明や解説の中で自分が重要だと思ったことをタイムリーにメモすらしない(できない)ことになるため、理解して、自分なりにまとめたノート作りには繋がりにくいといったことも考えられる。
「大切なことは黒板に書かれているので、それをきちんとノートに書き写しておけば、後で見直して勉強することもできる」とも言えますが、授業における“旬”は逃してしまっていることには違いないので、ある意味、もったいないと思っちゃいます。
聞くこととと書くことは、ある種、上手に分業できることが理想的です。でも、それすらいくら分業したところで、単なる作業としてやっているようでは、これまたもったいないし、結果にはつながり難い。
それらすべての行動も含めて、学習において一番重要なことは、「自分は今、学んでいるんだ」ということをしっかり意識し、その学びに必要なこと、重要なことを考えながら聞いたり、書いたりすること。
なんて、理屈を言うのは簡単ですが、実際に子どもたちにそれができるようにすることがとても難しいことだということで、それがなかなかできないからみんな苦労しているわけでして…。
そういう意味では、「ノートがちゃんと書き写せていること」という表面的なことだけで子どもたちを褒めるのではなく、場合によっては、ノートがきちんと書き写せていなくても、授業内容をしっかり理解できていれば「OK!!」と評価して、褒めてあげてくださいね☆
もちろん、ノート提出があったときに、ノート点はもらえないですけど…。笑