杓子定規

一見、正しいことのように思えるが、何でもかんでもきまりを最優先して融通の利かない対応ばかりするというのはどんなものか?
いろんな場面で考えさせられる。
ある一定のきまりに基いて対応することは、すべての人に対して平等に…という意味では必要なことだとも思うが、行き過ぎるそれは単なるナンセンスのような気がする。
でも、すべてのきまりが本当の意味ですべての人に対して平等というものではない。
そのきまりの枠の外にあるものを必要としている人はたくさんいる。
そこに手を差し伸べようとしたとき、そのルールが壁になる。
東日本大震災の影響で避難生活を余儀なくされている人たちはたくさんいる。
少し前のニュースでは、避難所での共同生活を続けることには限界もあり、仮設住宅の早期建設が望まれているという報道がされていた。
そこでは、仮設住宅の建設用地の問題が挙げられ、そこでもきまりがネックとなってなかなか思うように建設が進まないことを嘆いていた。
それがここ数日のニュースでは、仮設住宅が建てられてものの、入居希望者が少なく、空いたままの状態になっている住宅がたくさんあるという報道がされている。
被災者の人たちは、正直、避難所生活よりも仮設住宅へ入りたいと思っているはずだ。
でも、仮設住宅に入ることでの負担増に今の生活では耐えられないとの判断から、仮設住宅への入ることを躊躇しているという。
なぜ?
避難所での生活では、基本的な部分では自己負担はない。
しかし、仮設住宅に入ると、すべてが自己負担になる。
特に水道光熱費などの生活に必要な最低限の費用の自己負担ですら、家も仕事の何もかも失った人にとっては大きな大きな負担。
それが払えないから、仮設住宅への入居ができないという切実な問題につながるそうだ。
そこで浮上する単純な疑問。
じゃあ、世界中から集まっている義援金でそれを補うことはできないのか?
復興すべてができるとは言わないが、そういった基本的な生活を補って十分足りるだけの義援金が集まっているのではないか?
ここでもまた義援金に関する基本的なきまりが大きな障害となっている。
被災者に均等に分配することが原則の義援金は、そのすべての実態把握が行なえていない現段階では分配金の額が決められないので分配ができないのだという。
だから、2千億円を越える義援金のうちの大半が、まだ被災者の人たちのところへ届けられていないという事実。
どう思いますか?
たしかにきまりは大切なんだろうけど、すべてを杓子定規に考えて、本当に必要としている人に必要としている支援が届けられないなんて、まさに本末転倒な気がする。
もう少しいろんな場面で柔軟な対応ができるようになれば、一つでも多くの笑顔を見ることができるようになると思うのに…。
できないのかなぁ……???

-ひとり言

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