私の履歴書⑥『夢の海外編(後編)』

第6回目。

夢の海外編(後篇)。

一度で終わらせる予定だった夢の海外編が、書いているうちに全然終わりが見えなくて急遽二部制になってしまったための後編。

日本語教師の資格を取得するために学校に通いながら、夏あたりからは本格的に就職活動も再開。
とにかく、来年こそは海外に渡ることを絶対条件に考えていたので、第一希望のタイ・バンコクはもちろんのこと、インドネシア・ジャカルタ、マレーシア・クアラルンプール、シンガポールなどなど、数ヵ国に渡って複数の塾に履歴書や職務経歴書を送って求人に応募しました。

ありがたいお話で、そのほとんどの塾から好感触のお返事をいただき、中には「すぐにこっちに渡って来て!!」と言ってくださるところも。

そんな中で、本命のタイ・バンコクにある塾は2つ応募したところ、その両方から面接の打診をいただいたので、秋に一度訪タイ。

両方の塾の様子を見せていただき、責任者の方々ともいろいろお話をさせていただいた中で「ここで先生がしたい!!」と思える塾に出会うことができ、翌年の春に渡タイすることを決めました。

その年の年末には部屋を決めたりの事前準備を兼ねて冬期講習のお手伝いという形で訪タイ。
楽しい雰囲気の中で授業もさせてもらい、気持ちはすでにタイ在住。(笑)

ちょうどこの在タイ中に、あのスマトラ沖大地震が起こりました。
インドネシアはもちろん、タイのプーケット島あたりも甚大な被害が出たことはみなさんのお記憶にもあることだと思います。

遠く4,500km離れた場所での出来事。
日本にいる家族や知人にはかなり心配をかけることになってしまいました。

そんなこんなの時期を経て、2005年の3月スーツケース一つに最低限の身の回りの物だけを詰め込んで、夢の海外へと出発!!

生活環境も仕事場の様子も大体わかっていたので、海外での新しい生活は大きな問題もなくスムーズにスタートが切れました。

ワクワク&ドキドキの毎日。
いつもは一週間前後で終わる旅が、ずっと終わらない旅。
うれしかったですねぇ~♪♪

そんなワクワク&ドキドキがずっと続くと思っていたけど、世の中そんなに甘くはないですよねぇ…。(苦笑)

よく考えたらわかること。
あたり前の話だけど、2週間から1ヶ月も経った頃には、バンコクでの生活も仕事もすべてがあたり前の日常になっていく。

そんな日常の中でも、やっぱり日本にいたころに比べて刺激はたくさんあったし、新しい発見もたくさんあってすっごく楽しい毎日を送ることができた。

ただ、毎日の生活が日常と化す中で、必然的に仕事と向き合うことが大きくなっていった。
自分の生活のために選んだ仕事であり、大好きな子どもたちとのかかわりが持てる先生という仕事ではあったが、そこでの教育と自分の目指す先の教育との違いの差は埋まるどころか、だんだん大きくなっていった。

受験のための勉強という自分にとって大きな大きな壁…。

『学歴社会』『受験戦争』とはずっと対極に位置し、否定的にとらえていた自分にとってはその教育観の違いから「本当にこれでいいのか?」と自問自答の日々が続いた。

考えても考えても答えは同じ。
自分の中では初めから決まっていたんだと思う。

その先に大きな夢を持って海を渡ったけど、その前の現実に壁を超えることができなかった。
それと同時に、このタイでの生活でいろいろな人に出会い、そこでたくさんの事を学び、自分の知らなかった世界を教えてもらうことができた。

1年間という短い時間ではあったが、海外から日本という国を、そして日本における教育の現実を見ることができた。
たくさんのことに気付きももらえた。

海外という生活と仕事のステージ。

自分はまだそこに辿り着いて何かができるレベルまでの自分磨きをしていなかったこともわかった。

おぼろげながら見えてきた自分の進むべき新しい道。
本当に自分がやりたいことのために、もう一度日本に戻って自分自身を磨くところから始め、別のルートで再び夢の舞台に立つ必要性を感じられたとき、日本に戻る決心をすることができた。

2006年春。
いつかまたタイ・バンコクに戻ってくることを心に決めて、再び日本の土を踏む…。

そこで待っていたのは、予定外の試練とその余波を受けての“0”からの新しいスタート。
まぁ、そのおかげ(!?)で今のSelfishがあるのですが…。(笑)

次回からは日本でのリスタートということで。

第7回につづく…。

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