悲しい思い出。。。

投稿日:2008/06/27 更新日:

今日のS先生の講義の中で、こんな話がありました。
“傷痍軍人”さんのお話。
S先生が幼少期を過ごした東京。池袋の駅の地下道には、物乞いをしているたくさんの“傷痍軍人”さんがいたそうです。
30人ぐらいの“傷痍軍人”さんがそこにいて、そこを通る人たちが、その30人のうちの数人かになんらかの施しをしていたのを見たときS先生は、「何人かにあげるんなら、どうしてみんなにあげないんだろう?」と思ったそうです。
そのお話を聞いたとき、「あっ、自分と同じことを感じてる…」って思い、そしてよみがえってきた悲しい思い出。。。
個人的に大好きな街、タイ・バンコク。
行かれたことがある人ならご存知だと思いますが、街のあちこちにたくさんの物乞いをしている人たちがいます。
手足の一部を失った大人や子供、乳飲み子を抱えたお母さん、そしてたくさんの子供たち…。
一国の首都の街のど真ん中に、そんな人がたくさんいるんです。
バンコク滞在中、ビザの関係で何度も訪れた、タイとカンボジアの国境の町ポイペト。ここにも、タイ・カンボジアを問わず、たくさんの物乞いをしている人たちが、国境を行き来する観光客に声を掛け、手を差し出してきます。
初めてポイペトを訪れたとき、何ともいえない悲しい気持ちに沈んだことを思い出します。目の当たりにした“途上国の現実”…。
最初はそんな人たちを見たときに、何度かポケットに手を入れ小銭を握り締めた自分がいました。でも、その手をポケットから出すこと止めました。それをしようとしている自分自身の行動が偽善に感じられたから…。
たしかにいくらかのお金でも施すことで、その人は一時的に満たされるかもしれない。でもそれは本当の意味でその人を救ったことにならない。
逆にその人のことを苦しめることになるんだと…。
それに、その行動をしようとした自分に目の前には何十人ものそんな人たちがいて、してあげられる人、してあげられない人をどういう基準で選べばいいのか決められないし、だからと言って、自分にはそのすべての人に分け与えてあげられるような物は何も持っていなくて…。
こんな話も聞きました。
バンコクの街の中にいる、物乞いをしている子供たちの実情。
一見、タイ人の子供たちが道端に座り込んでいるように見えるけど、実は大半がカンボジアなどからマフィアなどにタダ同然で親から買い取られて連れて来られて、そこに座らされているのだということ。
朝、車でその場所に連れて来られて降ろされ、夜になるとまた迎えが来て連れて帰られる。その日もらったお金はすべて取り上げられ、代わりにいくらかの食事を与えられる。結局、お金はマフィアたちの収入源になってしまっているという事実。
手足を失い、道端で物乞いをしている子供たち。
その子たちはもともと手足が無かったわけではない。親がわざとそうしているのだと…。そうすることで同情を引き、より多くの施しがもらえるようにとの親なりに子供のことを考えての手段なんだと…。そんな手段しか選べない親たちと、そんな手段でしか生きられない子供たち。親ばかりを責めることも出来ない。子供たちばかりに同情をすることも出来ない。それがその国の現実…。
どちらの子供たちもそうすることで、いくらかでも食べるものを手に入れることが出来、なんとか命を繋ぐことが出来る。
でもそれで本当に生きてるって言えるのだろうか…?
人からの施しを受けて命を永らえているのは‘生かされている’のであって‘生きている’のではない。
現実を自分のこの目で見て、思ってもいなかった現実を教えられ、愕然とした。そして、「本当の意味で助けてあげることにならないのなら手を差し伸べることはやめよう。」「最後まで責任が持てないのなら、手を差し伸べることはやめよう。」と自分自身が心を決めて、一度もポケットから手を出すことはしなかった……。
お前は冷たい人間だ。
そう思われるかもしれない。
でも、それが自分自身で決めたルール。
本当に大切なことは、その人たちが自分たち自身の足でしっかりと立ち、自分たち自身の手で必要なものを手に入れ、自分たち自身で生活をして自分自身を守っていくんだという、本当の意味での“生きる力”。
自分たちが“生きる力”を身に付け、自分たち自身の誇りと尊厳を持って生きていける社会を作り上げて欲しいと願う。そして、そのためのお手伝いなら喜んでやりたいと思う。
いつかみんなが笑って過ごせる日がきたらいいな…。

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