数学的生き方から国語的生き方へ

問いを読む。その中に散りばめられているヒントを元に、公式を利用して一つの答えにたどり着く数学。もちろん、その答えへの道筋は決して一つではないが、たどり着く“正解”は一つである。

それに対して国語は、文章や言葉の解釈により、多種多様な答えを導き出すことができる。こと、テストや問題といった類になると“正解”が用意されてはいるが、それはあくまで『模範解答』だったり『一例』だったりで、唯一無二の『正答』ではない。

細かいことを言えば、数学にも国語的問題はあるし、国語にも数学的問題はあるので全部が全部上記のような内容に当てはまるわけではないが、あくまで教科ごとの主観的な考え方として捉えて欲しい。

これを人生という生き方に置き換えて考えてみると、これまではどちらかと言えば数学的な生き方をして来た気がする。“正解”(目標)を定め、そこに着くための最短ルートを探りながら、結局はいっぱい遠回りだらけ。でも、たどり着くべき“正解”は決まっているので、そこにたどり着いたら、また次の“正解”を定めてそこに向かって進む。

もちろん、これは決して間違った生き方なんかじゃなく、一般的だし、正しい道。でも、その道だと“正解”は一つだけ。

そうじゃなくて、夢や目標を持ちつつ、そこに進む道の中でたくさんの“正解”を見つけながらいろんな道を歩く。どの道を選んでも、そこには解釈次第でいくつもの“正解”があり、どの道を選んでも決して間違いや失敗はない。例え、同じ道を歩いている人が自分とは違う答えを見つけたとしても、それを間違いと決めてしまうのではなく、それも“正解”と認められる。そんな国語的な生き方。

自分をよく知る人は「いやぁ〜、これまでも十分自分に都合のいい国語的な生き方してきたでしょ!?」と笑いながら言うかもしれないけど…。(笑)

いろんな“正解”見つけられるといいな☆

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たいして深い意味もなく、ただツラツラとひとり言……。

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