『無償化』という名の落とし穴

ベネッセ教育情報サイトに「幼児教育無償化」についての記事が掲載されていました。

そのままを転載させていただきますので、まずはその内容を読んでみてください。

来年度から5歳児の20%が無償化へ!

教育再生実行会議が、幼児教育(幼稚園教育と保育所保育)の段階的無償化の推進と、5歳児の義務教育化の検討を提言。また、下村博文文部科学相が2020(平成32)年までに3~5歳児を完全無償化したい考えを示すなど、幼児教育が今、注目を浴びている。教育ジャーナリストの渡辺敦司氏に詳しく伺った。

■社会保障コストを削減する「先行投資」としての幼児教育
質の高い幼児教育が、その後の成績や、社会に出てからの成功にも大きな影響を及ぼすことは、よく指摘されています。下村文科相が記者会見で紹介した米国の研究では、1960年代に低所得世帯で知能指数(IQ)も高くないアフリカ系の3~4歳児に対して2年間、環境をとおした主体的な活動から学習させるカリキュラムを実施したグループと、未実施のグループを追跡調査していますが、14歳での成績や高校の卒業率に大きな差が開いただけでなく、40歳での年収や持ち家率、犯罪率にも明確な違いが表れました。社会的背景や教育制度の違う米国での話ですが、下村文科相は「日本でもまったく同じだと思っている」との見方を示すとともに、教育面だけでなく、将来の社会保障コストを削減するうえでの「先行投資」としても幼児教育を位置付ける重要性を訴えています。

■360万円未満の所得制限で、5歳児の20%が教育無償化対象に
既に政府・与党は2013年(平成25)年6月、幼児教育無償化に段階的に取り組むとした基本方針を決定。2014(平成26)年度予算では、幼稚園に通う場合も保育所と同様に、生活保護世帯の保護者負担を無償にするとともに、第2子の保護者負担を半額にしたうえで所得制限を撤廃するなどの軽減措置を拡充しています。

しかし3~5歳児の完全無償化には7,840億円もの予算が必要だと推計されており、5歳児に限っても2,610億円です。未就園児財政の厳しい中、一気に無償化を実現するのは現実的ではないため、まずは360万円未満という所得制限をつけるところから始めることにしました。これが実現できれば、5歳児の20%が無償化される見通しです。

■経済的な問題のある家庭をどう支援するか
一方、2012(平成24)年度に22万人余りと推計される3~5歳の未就園児のうち、4~5歳児のほとんどは認可外保育施設等に通っているほか、家庭等で保育されている子も1万人以上いると見られています。待機児童の解消はもとより、経済的な問題により幼児教育を受けさせていない家庭をどう支援するかも、重要な課題です。

(ベネッセ教育情報サイトより)

さすがに専門家や有識者といった方々のご意見による動きについてのお話ですから、言わんとしているところは素晴らしいと思いますが、掲載本文の最後にもあるように、“公”がやる取り組みの根底をなすべき“公平性”という点も含めて、問題が山積しているのが実状といったところでしょうか?

個人的な意見を言えば、そもそも『無償化』という制度の在り方そのものが、その先に意図している方向性に正しく導ける方策なのかということ自体に疑問を投げかけたい。

前例にあるようなアフリカ系の俗にいう貧しい国々では、そこにお金をかける必要性を感じていても、生活すらままならないような中で現実問題としてお金をかけることができない。だからこそ、逆にその必要性を十二分に痛感しているはず。

そこに『無償化』という形云々は抜きにしてその必要な物を得られる環境与えることによって、そこから出てくる成果や可能性はきっと大きいものになると考えられる。その根底に必要性を感じているという現実があるから。

じゃあ、日本のようにある程度いろんな物が満たされ、必要性をあまり感じていない中に同じ理屈で何かを投じたところで、それは焼け石に水の状態であまり意味のなさない物になってしまう可能性は非常に高いと感じている。

『無償化』と言えば聞こえはいいが、裏を返せば、それにより得られるであろう有益な権利を仮に放棄したとしても自分自身がまったく痛手を被ることがないということ。そして、その感覚で平気で放棄という行動を実行に移してしまいがちなのが、我らが日本人の国民性の一つのような気がしてならないから…。

未来を担う子どもたちにきちんとした形で教育を行うことは我々大人に課せられた重要な義務であり、それが引いては国民を、そしてこの国自身をより豊かにすることに他ならない。

ではどうすればいいのか?

確かに『無償化』は魅力的だ。でもそれは受益者側が責任を簡単に放棄することをも可能にしてしまう。

教育に親の所得の差が影響を与えるというのなら、税制に累進課税等の制度があるように、教育費にも所得に応じた負担制度を盛り込めばいい。所得が低いなりに、他を切り詰めてでもそこに払うべきもには払う。そういった痛手を負う気持ちのない人には、結局いくら税金を投じてもそれに見合った成果は望めない。

だから、すべての人を受益者にしようとする考え方をまず捨て、きちんと考えて自らが受益者となろうとする人たちが責任を負いながら受益者となることを選択した先に、違う形で『無償化』に相当するメリットを得られるような制度を構築すべきだと思う。

「タダより高いものはない」

昔からよく言われる言葉ですが、きちんとした成果を見いだせないような『無償化』は、いずれ増税という形で我々に重くのしかかってくるのでは…???

20140912001

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