求めるべき「生きる力」とは?

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Selfishの基本的な考え方の中に「生きる力」を身に付けるという目標があります。もちろん、一口に「生きる力」と言ってもいろんな考え方や捉え方があるし、個人個人で求める(目標とする)力は違ってくると思います。

では、こと学力という面において求められる「生きる力」とはどのように考えればいいのか?育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんのコラムに僕自身が求めるものを明確に、かつ、非常にわかりやすく書かれていたので、その本文を一部抜粋しながら「生きる力」について考えてみたいと思います。

福沢諭吉は「文明教育論」の中で次のように説いた。要約すれば、「世界万物についての知識を完全に教えることなどできないが、未知なる状況に接しても狼狽することなく、道理を見極めて対処する能力を発育することならできる。学校はそれこそをすべきところであり、ものを教える場所ではない」ということだ。

いきなり、ガツンときましたねぇ…。「ものを教える場所ではない」って、ある種極論っちゃ極論ですが、さすが福沢諭吉先生、見事に真髄をズバッとついているとおもいました。

これを受け、おおたさんは次のように現代的に置き換えて説明してくれています。

これこそまさに、現在の学習指導要領がいうところの「生きる力」を構成する学力観ではないだろうか?知識偏重型、ペーパーテスト重視型の学力観に対し、「新学力観」などといわれることもある。あたかも「これからの時代に必要な学力」というニュアンスを感じさせるが、実は福沢諭吉の時代から、求める学力観は変わっていないのである。

う〜ん、なるほど。本当にその通りですねぇ…。
そういう意味では、今の学習指導要領の示す内容や教育現場にて求められていることは決して新しいことではなく、『原点回帰』ともいうべきことか。

本当に身に付けたい力とは、“A”という単純な問いに対して“B”という一つの正しい解答を求められる力ではなく、与えられる問題(情報)の中から大な情報やヒントをきちんと読み解き、そこに自分の持っている基礎知識の中から必要なものを抽出してうまく融合させながら解答へのアプローチを組み立てることのできる力なのだ。

その力の強みは、物事の考え方に対する柔軟性ともいうべき、汎用性をもって物事を思考し、たった一つではない、場面に即した解答に行き着くべき道を自ら構築できることにあると思う。

ただ、その力こそすべてというわけではなく、その力の基礎には間違いなく、様々な知識と呼ばれる基礎的な学力が存在してこそ、意味のある力として成立するものであるということも忘れてはならない。このことをおおたさんはこのように記している。

「これからは正解のある問題に正解する力より、正解のない問題に最適解を求める力のほうが大事」と言われることもあるが、勘違いしてはいけない。正解のある単純な問題すら解けないのに、正解のない複雑な問題が解けるわけがない。単純に知識を一体一対応させるのではなく、複数の知識を統合して最適解に近づいていく能力が求められているのである。

いやいや、なんて的確な表現。さすがジャーナリストの言葉は違いますね。自分の稚拙な言葉をいくら並べてみても伝えられないことが、端的に伝えられ、すごくわかりやすいです。

ただ、最初にも書いたように、「生きる力」と一言で言っても必要とする力は個々に違います。一人ひとりの未来を切り拓いていく上で必要となる「生きる力」を見極め、それを身に付けられるように考え、導いていくことこそが教育に求められる一番重要な部分だと思います。

そういった教育環境がしっかり整備され、子どもたちの未来へと続く道にたくさんの光が差しますように☆

七夕の日の夜にそんな願いを込めて…。

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