人人悉道器

「人間賛歌。自信を持って」

「この世に生まれた人は誰でも道を極める可能性を兼ね備えている」という意味です。
そう、道を極める「努力」をすることによって、もともと備わっている可能性が開くというのです。
道元禅師は、人が皆仏の子なら、最初から何も修行することはないじゃないか、という問いかけに、「精進」という答えをみつけました。仏の子であっても無心で努力をしなければ、道を進み完成させることはできないというものです。
努力をすれば豊かに開ける道。そんな道が見つかったら、どんなに爽快に生きられるでしょう。その「道」と、完成される「器」は、もともと生まれた時からあなたの中に備わっているのです。あなたの努力は素晴らしい「道器」となる。
あなたは、あなたの精進によって輝かすことができる神秘を持っているのです。

「人人悉道器」=『にんにんことごとくどうきなり』と読むそうです。
「努力する」と口で言うことは簡単ですが、実際はなかなか…。
子供たちに偉そうなことはいうものの、じゃあ自分自身はできているのかと聞かれると自信を持って“YES”と答えられない。
でも自分の人生を振り返ってみたとき、常に努力を続けてきたとは言えないけど、胸を張って「努力した!」と言えることはいくつかあります。
その場面を思い出すと、たしかに必ず結果に結びついているんですよね。
3年前には人生初のフルマラソンにチャレンジ。
たしかに10年間陸上は続けてきたけど、根っからの短距離選手。マラソンどころか持久走も大っ嫌いだったのに、それがなぜか42.195km。
3ヶ月間、自分でも感心するほど本当によく走った。月間200km~300km。普段走り慣れている人やマラソンが好きな人にとってはたいした距離じゃないけど、自分にとってはとんでもない距離。一生分のランニングをこの時期に一気にまとめてしたような気がした。
自分の苦手なことに挑戦してゴールまで辿り着けたとき、自分の中で何かが変わると思っての挑戦でした。
でも、実際にはスタートラインについた瞬間に、それまでのトレーニングの過程の中で大きく変わっている自分に気付きました。
ゴールできるかどうかという不安はまったくなく、逆にゴールまで走り切れるという自信。その自信は、自分のやってきた努力が生んだもの。
だからこそ、レースを思いっきり楽しむことができたし、ちゃんと完走することができました。
今回の禅の教えとは少し違うのかもしれないけど、でも努力した先に何か結果があり、そしてその結果が自分の自信となって自分自身を変えていく。それを身を持って体験したことには間違いない。
最近、生徒や昔の教え子、生徒の保護者から知人等からいろんな相談を受けます。
その内容も多種多様で勉強のこと、進路のこと、子育てのこと、仕事のこと、人生のこと、恋愛のこと…などなど。
たいていみんな壁にぶつかって、自分の進むべき方向性を見失ってます。
そしてみんな同じことを言うんです。「がんばっているのに…」と。
がんばっても結果がついてこない。だからどうしたらいいのか分からない。みんな同じ悩みを抱えています。でも話を聞いていて、本当に努力をしたって言えるのかな?って思うことが多い。
答えが見つからなくて、もがき苦しんでいる人はまだ本当の意味での努力をしていないんじゃないかと思います。
自分もたいした人間ではないので偉そうなことを言えた義理ではないのですが、本当に努力をしたのならその努力に対する答えは必ずあるはずです。結果ではない本当の意味での答えが…。
本文中の、問いかけに対する道元禅師の「精進」という答え。
この一言にすべてが凝縮されているような気がします。

-代表者ブログ, 禅の教え

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