節目の年に歴史の勉強【大政奉還】

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大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的出来事である。(Wikipediaより引用)

幕末最大の出来事の一つである大政奉還。これにより、260年余り続いた徳川幕府が終焉を迎え、日本が明治という新しい時代を迎えたことは、誰もが歴史の授業で勉強したことだと思います。

上記、Wikipediaの情報にもあるように、大政奉還が行なわれたのは1867年の11月9日(旧暦の10月14日)。すなわち、今日が大政奉還からちょうど150年の節目の年にあたるのです。記念日は毎年訪れるものですが、こういった50年、100年単位の節目の年に当たることはなかなかないことなので、ちょっと特別な気がします。

そんな節目の日ということで、歴史上、大変よく知られているはずの出来事ですが、ほんのちょっぴり歴史のお勉強をしてみたいと思います。

簡単にわかる【大政奉還】

そもそも大政奉還とは…。

江戸幕府最後の将軍となった15代将軍徳川慶喜が、朝廷に政権を返し、その後、江戸城を無血開城したことで無用な争いをすることなく、江戸幕府が終焉を迎えるきっかけになった出来事です。


(※画像はWikipediaより引用)

ただ、その裏では、江戸幕府を武力行使で倒そうとしていた薩長同盟を中心とする討幕派は、天皇から討幕の勅許を得たものの、それが大政奉還のほんの数時間後というタッチの差であったため、討幕派の怒りの頬先が向かう先が急になくなり、その後の遺恨へとつながっていくことになる。

この大政奉還とともに江戸幕府が終わったように思われがちであるが、これはあくまで大政奉還が受け入れられ、形の上で政権が朝廷に返上されただけで、実際にはこの時点で徳川慶喜は征夷大将軍職を辞職したわけではなく、引き続き諸藩への軍事指揮権をもっている状態でした。その後、11月19日(旧暦の10月24日)に将軍職辞職が勅許され、幕府の廃止が公式に宣言されたのは翌年の1月3日(旧暦の12月9日)の王政復古の大号令の時である。

この大政奉還の立役者が、みんなもよく知るあの坂本龍馬である。龍馬が京都に向かう船の中で八ヶ条からなる案を作ったものが「船中八策(せんちゅうはっさく)」で、これを元に作られた建白書を土佐藩主の山内容堂が将軍慶喜に提出し、成立したのが大政奉還です。

この当時、徳川将軍家を始め、すべての諸藩が日本、そして自国のことだけを考えて行動していたのに対し、坂本龍馬はイギリスやフランスなどの欧米諸国から日本が攻め込まれ、清国のように植民地化されることを危惧していたという世界的視野を持っていたことが彼のすごさであるという話は、大政奉還について学ぶ中でのオマケとして…。

日本が大きく転換し、世界に向けての扉も開かれたこの時代。

その内容や意味をしっかり知るとともに、その立役者が一脱藩浪士であったことも、子どもたちにはしっかり学んで欲しい重要な歴史の勉強です。

そんな大政奉還からちょうど150年目にあたる記念の年。

いろんな意味で、再び日本が世界に向けて開かれた国になることを願いつつ…。

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