子どもたちの“元気な声“や“泣き声“

街の公園から子どもたちの姿が消えたと感じられるようになって久しい。たまに、公園で元気に遊んでいる子どもたちを見ると、見ているこちらまでうれしくなってくる。

かつて、自分たちがそうであったように、子どもたちは外での遊びを通して、子どもらしく成長し、人との関わり方を知り、創意工夫する力を身に付けていくといった、子どもたちにとってとても大切な社交場であるべきだと思うが、安全の名の下に遊具が撤去され、ボール遊びが禁止され、とうとう「走り回らない」とか「公園では大声を出さない」などの禁止事項まで加えられる始末。遊具がない状況で、ボールを使用することを禁止され、その上、走り回ることを禁じられ、大きな声を出すなと言われたら、どうやって遊べばいいんだろう。

その結果、公園が違う意味での子どもたちの社交場になり、公園で何人かの子どもたちが集まって、ゲームに興じる姿をよく目にする。公園でゲームって…。苦笑

そんな状況を作っておいて、大人たちは子どもたちに向かって言う。

「最近の子どもたちはゲームばっかりする。」

そうさせてるのは間違いなく大人たちなのだから、矛盾だらけで、子どもたちにとっては理不尽極まりない話だ。

大人が状況判断出来ていないことが原因!?!?

なんでそんなことになったのか?原因は大人にある気がする。

今日、こんな場面に遭遇した。

とある家電量販店の対応カウンターで、契約等を進めている中で、電話にてオペレーターとの確認事項をしなければいけない場面で電話をしていた。その横のカウンターで同じく手続きをしているご夫婦と小さい子どもの家族がいた。

長い時間の手続きに飽きたその子どもが、大声で泣きながらカウンターを蹴りまくっているのだが、その子のご両親は何も対応するでもなく、自分たちの契約を淡々と進めている。

その子どもの声は半端なく大きく、隣で電話しているこちらとしては、電話の向こうとの会話が成立しないぐらいの状態。何度か声をかけようかとも思ったのだが、子どものことなのでそのままにしておいた。

子どもたちの“元気な声”や“泣き声”

仕事柄、子どもたちの声には慣れているし、聞いていてこちらが元気をもらえるので大好きだ。だから、大きな声も泣き声も、元気な証拠だと思っているので、基本的に気にならないし、子どもたちはそんなものだと思っている。

ただ、大人が一緒にいて、明らかにまわりに迷惑をかけていることがわかる状況では、その大人が何らかの対処をすべきではないかと思う。今日の遭遇した場面では、どちらかが交代で子どもをその場から離し、気を紛らわえたり、あやしたりといった対応をすることは出来たはずだ。すなわち、子どもたちが大きな声を出したり、泣いたりしている場面で大人がどうするべきかの状況判断が出来ていないケースが多い気がする。

そうなってくると、子どもたちの“元気な声”や“泣き声”を快く思わない人が増え、結果、すべての場所での子どもたちのいろんな行動が制限されてしまうことになってしまっているのではないか?

もちろん、根本的に子どもたちが好きか嫌いかといった問題も絡んでくるから、一概には言えないし、それだけが原因などとは思わない。でも、いろんな場面で子どもたちがどんどん制約を受けていることに関する一つの要因になってしまっていることには違いないだろう。

何でもかんでも一緒にして考え、それを排除してしまうのではなく、その前にもっともっと大切なことをきちんと子どもたちに教えてあげるようにして、みんなが楽しく共存できる環境が作れるようになったらいいのになぁ〜と思う。

決して難しいことではない。昔はちゃんと出来ていたことなんだから…。

そんなことを考えていた日曜日の午後でした。

-代表者ブログ, 日記, ひとり言

© 2024 NPO Selfish(セルフィッシュ)