『点思考』→『平面思考』→『立体思考』

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保護者の方もそうだと思うし、我々も子どもたちからよく受ける質問。

「何のために勉強するの?」

「今している勉強を将来社会に出て使うことがあるの?」

もちろん、意味もあるし、使うこともあるし、必要になるものだけど、それが直接的か間接的かの違いはあるため、現時点においてそれに対する明確な答えを子どもたち自身に見つけさせたり、わかってもらたりすることは非常に難しいことだと思います。

それに、その答えは完璧なもの、一つの確立されたものは無く、子ども一人ひとりによって違ってくるので、その子に合わせた答えをつたえなければいけないため、いつも頭を悩ませます。

そんなとき、一つのヒントになりそうな考え方、物事の見方に関する情報を見つけたので、一部抜粋してご紹介しながら一緒に考えてみたいと思います。

点ではなく、線や立体で見る

物事の見方には、点で見る方法、線で見る方法、平面で見る方法、そして立体で見る方法があります。このような表現はこれまでも聞かれたことがあるかもしれません。「物事を点で見るな、線で見ろ」とか「立体的に見るべき」などが代表的です。

重要なことは、「もともとは立体だ」ということ

たとえば国語でいえば、ある1つの文の訳はわかる。しかし前の文や後ろの文とのつながりは見えない(わからない)としたら、このような人は点しか見えない人です。前後の文の意味のつながりはわかるが、文章全体の意味がわからない人は、線は見えているが平面が見えていない人。さらに文章全体の意味はわかったが、その文章が自分の人生や社会とのつながりにおいてどのようになっているかがわからない人は、平面は見えているが、立体的に見えない人ということになります。

こういった考え方は、勉強が必要かどうかという今回の論点に関したことだけではなく、学習内容そのものにおいても非常に重要なことで、先述の国語の内容にもあることが算数などの他教科においても同じことがいえる。「公式を覚える」という『点思考』、「公式が正しく使える」という『平面思考』、そして「応用して使いこなすことができる」という『立体思考』まで至ってこそ「わかるようになった。」「でいるようになった。」と言っていいのではないかと思うが、基本的に子どもたちが「勉強した!!」「できるようになった!!」という場合には『点思考』もしくは『平面思考』までをその対象としてとらえている場合がほとんどで、『立体思考』の域までは届いていないことがほとんどだ。

教える側として求めるところは、その『立体思考』の部分であるし、その域まで届くことで子どもたちにも少しは勉強することの楽しさに気付いてもらうことができる。それこそが、まさに勉強することの意味であり、役に立つということを感じてもらえるポイントではないかと思います。

情報の中にはこのようにも書かれていました。

受験では、平面まで見えると、合格します。はじめは点の勉強、次に線として見るようにして、最終的に平面という全体像がわかり理解できるという状態です。しかし、平面思考で止まっている人は、受験が終われば、それで終了なのです。つまり、まったく社会や自分の人生とつながっていかないということなのです。実にもったいないことですね。立体的に見えている人は、自分や、社会とのつながりが見えるので、学校での勉強はすべて学びとなり、今後に役立っていくのです。

社会人になって、やりたくて始めた勉強が、身に付いていき、面白くなっていく場合、まさに、立体的視点があるため、面白く感じるのです。それを上からやれと言われたからと仕方なしに勉強している場合、それはせいぜい試験に合格できる程度の平面レベルですから、勉強していて結構つらいことでしょう。

結局、自分のためになることを少しでも感じられたら、勉強の楽しさも少しはわかるはず。

『点思考』→『平面思考』→『立体思考』へ。

子どもたちにもどんどん“進化”して欲しいですね☆

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