“マナー”なのか?“モラル”なのか?その原点をなす教育の重要性

投稿日:

東急電鉄のCMについて賛否両論、いろんな意見がネットの世界で飛び交っていますが、みなさんはどう思われますか?

20161027001

個人的には、この啓発CMを出した東急電鉄がどうこうということより、もっと根本的なところに問題はあると思います。そもそも、これが“マナー”として考えるべき問題かどうかというところから気に掛かります。

“マナー”の日本語における意味は「態度、礼儀、礼儀作法」などといったものが辞書には出てきます。その意味から考えると、すごく曖昧な言い回しになってしまい、結局、どういう視点で見るのかといった個人的な主観や社会の価値基準によって正しいという解釈もできるし、間違っているという解釈にもできる内容になると思います。

その曖昧さを回避するために、“マナー”よりももっと厳格化されたものとして“ルール”というものが社会には存在します。だから、“マナー”に訴えてみてもどうしようもならないことは“ルール”によって基準が明確に作られて、場合によっては制約をかけられ、罰則までが作られます。

ただ、その“マナー”と似たような意味でよく使われる“モラル”という言葉もあります。この“モラル”の日本語における意味は「道徳、倫理、人生・社会に対する精神的態度」などと出てきます。今回の問題って、どちらかというとそういった行動をとる個人個人の道徳観や倫理観によるものが大きく左右する内容じゃないかと思います。

どんな形で訴えたとしても…

それが“マナー”であれ“モラル”であれ、言葉の違いだけで大差ないことだし、CMだろうと電車の中吊り広告だろうと伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないこと。結局のところ、それを受け取る個人の資質の問題じゃないですか?そして、そこを突き詰めていくと、どういった段階でどういった教育がなされるかということに行き着く気がします。

“マナー”や“ルール”を理解して守るという教育だったり、その人の中に社会的“モラル”を構築すべき教育だったり…。

それはいわゆる学校教育としての教育だけの問題ではなく、家庭での教育もそうだし、社会における教育でもあると思います。そういった意味では、そちらがしっかりしないと、いくら訴えたとしても届かないし、変わらない気がします。

昔とはどんどん変わっている日本の社会と教育事情。その一つの答えが、このCMであり、そんなCMに対する論争なのかもしれないですね。

PR

スポンサーリンク

-代表者ブログ, 教育について, ひとり言

Copyright© NPO Selfish(セルフィッシュ) ♦ 2006-2018 AllRights Reserved.